才能とは何か
こんにちは、白絹です。
今回はぼーっと考えていたことを言語化してまとめようと思います。
努力と才能の違いについてです。
努力とは
努力(どりょく)とは、目標を実現するために、心や身体を使ってつとめること。(Wikipediaより)
皆さんがご存知の通り、努力は『頑張る』というイメージがつきます。悪いことではないですし、むしろ頑張ることはいい事だと思います。
では"才能"とはなにか
才能とは
「才能を持って成功する人間はみなたゆまぬ努力をしている」
多少の表記揺れはあるものの、多くの人が耳にしたことがあるのではないでしょうか。
ただ私は、これは本質を得てはいないと思います。なぜなら私の考える才能とは、『努力を努力と思わないこと』にあるんじゃないかなと。
勉強の才能、スポーツの才能、ゲームの才能…なんでもそうです。自分が楽しくてやっていることが周りの「努力」と同じことだったりするもんです。
高校時代に私はバスケ部でしたが、キャプテンには何やっても勝てないと思うところがよくありました。
彼は特別な練習をやっているわけでもなく、むしろ努力量だけで言えば私の方が多かったとさえ思います。
ただ彼は、全ての練習において考えながら主体的に取り組み、なおかつそれ自体を楽しんで行っていたように感じます。もちろん程よい緊張感を持って。
これは実力のあるプログラマやエンジニアは特に顕著で、新しいプログラミング言語や環境で開発すること自体を楽しんでいて、並のエンジニアはこれを難しい勉強として苦い顔をしながら取り組みます。
私も小中学生の頃は勉強が楽しく、そのおかげで非常に良い成績を取っていました。特に理数系は一周回って授業が退屈な程でした。もちろん、YouTuberのドズルさんと並ぶほどではありませんが、それでも校内のトップ争いに絡む程でした。
「好きこそ物の上手なれ」とはよく言ったものです。どれだけ努力しようと、努力すら楽しんで行う人間は楽しんでるだけなので努力とすら思ってないでしょう。
ただ、無理やり楽しもうとするのは何か違うような気がします。楽しいという気持ちは根性で出したり引っ込めたりできるものではありませんから。
もし、努力が苦痛だったらやり方を変えてみたり、合理的で効率のよいやり方を考えてみる方が手っ取り早そうです。もちろん、楽しみ方はひとつではありませんし、"エンジョイ勢"という言葉があるくらいですから、気の合う仲間とライトにワイワイ楽しむのも面白いと思います。
私はなるべくポジティブな感情のインプットとアウトプットを増やしていきたいです。
以上、よろしくお願いします。